チーム天狼院

他人の歯みがきを見る行為には、「ありえない」を「ありえる」に変えるヒントが詰まっている《海鈴のアイデア帳》


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天狼院書店の山本です。
「では、ステージの上で歯みがきをしてください」
そう促され、舞台上でただ一人スポットライトを浴び、観客席に座る大勢の人の目にさらされながら、歯を磨く……

とうていできそうにない。
お金を積まれても、迷うかもしれない。
それくらい、歯みがきとは、どこか恥ずかしさをはらんだ行為である。
ふしぎなものだ。小学生のころは、給食のあと人目も気にせず歯ブラシを握っていたのに。

われわれは365日、最低でも1日1回以上は歯を磨いている。
おとなになった今、そのやり方はほぼ定着しているといってもいいだろう。

同じ「歯みがき」といえど、人によってその手順は千差万別だ。
だから、はじめて人の歯みがきのようすを見る機会があると、どうしてものぞいてみたくなる。

あまりまじまじと見られるのは私だって恥ずかしい。だから、「あのさー」とか話しかけながら、あくまでもさり気なく目線を振るのである。

「この人、前歯から磨くんだ」とか、「そんなにガシガシ磨いたら歯ブラシすぐだめになっちゃわないかなー」などと、思いを馳せるのが好きだ。
ふだん何気なく日常的にやっている行為にこそ、その人の本質が現れるような気がするのだ。

しかし、まさか、「歯みがき」という行為によって、考えを根本から覆されることになるとは、思いもよらなかった。

 

それは、福岡に来て、数日のことだった。
こちらで借りているマンションの部屋には、大きめのテーブルが一つある。
閉店後、一緒に福岡に来ているスタッフの川代と向かい合って、残った仕事をすることがあるのだが、これがかなり集中できる。
それなので、定期的にこの場所で作業をすることにしている。

夜も遅くなるときには、完全なるおうちモードに入る。
メイクも落として、歯磨きも済ませ、時には寝巻きになってパソコンに向かう。もはや、「部活の合宿所」状態である。

彼女とは、すでに付き合いも5年ほどになろうとしている。
しかも最初の1年は留学先の寮での生活だったので、生活じみたことはお互いあらかた把握していた。

「じゃ、先に、歯磨くわ」

というやり取りも、当然のように繰り広げられる。留学先の寮でも、これまでも、同じ時間に歯を磨く場面なんて何度も直面してきたのだ。

先に川代が磨き終えたようなので、洗面台に向かうようすを見ていると、そういえば、コップがないことを思い出す。

そうだ、引っ越してきたばかりで、コップをまだ買っていなかったのだ。

ざらっ。
生活必需品が切れているときに感じる、あのどうしようもない不快感が生じる。
あーあ、やっちゃった。こりゃ不便だ、買いに行かなきゃな。

ごめん、コップないや、と私が言いかけたそのときである。
川代は、コップを使わず手で水を汲んで、口をゆすいでいた。

やばい、手で口をゆすがせちゃった。私が申し訳なくしていると、川代はなんでもない顔でテーブルに戻ってくる。

「ごめん。この部屋、まだコップなかったよね」

私が謝ると、彼女は、きょとんとした顔をした。

「え? なにが?」

こちらのセリフである。
お互い何を指しているか、わからなかった。

けれど、一瞬で理解した。
この世には、二種類の人間がいる。
歯みがきのあと、口をゆすぐとき「コップを使う人間」と、「手で水をすくう人間」がいるということだ。

私は歯を磨いたあと「コップを使う人間」で、これが普通なのだと思い込んでいた。まわりの人も歯みがきのあとはコップを使う人ばかりだったし、そのほかの方法があるだなんて、考えもしていないことだった。
コップから水をくまなければ気持ち悪いと思うくらいに、その習慣は私の中に定着していた。

けれど、あとでほかの人に聞くと、どうやら、手から水を口に含む派は彼女だけではないらしい。
別の人にも聞くと、その人も手で水をすくう派で、その場では「コップを使う人間」のほうがマイノリティになってしまった。

想像力の欠如だ。

365日、1日1回以上はしている行為「歯みがき」。その手順は千差万別だということはわかっていたが、まさか水をどう口に入れるかなんてところまでに差があるとは1ミリも想像したことがなかった。自分のやり方以外にほかがあるわけなんてないだろう、と思っていたし、そもそも想像をしようとさえしていなかった。

こうやって、日常的にやっていることこそ、ほかの可能性があるとも考えず、「自分の中のあたりまえ以外は断固拒否」という姿勢をとっている場面があるかもしれないのだ。

今回は歯みがきだったからよかった。
けれど、いちばん怖いのは、思考停止することだ。
「◯◯は、こうあるべきものだ、それが普通だ」と決めつけることで、考えなくて済む。悩まなくて済む。どれがいちばん良いのか判断を下さなくて済む。それは、楽なのだ。けれど、何も生み出さない。

ものごとを一面からしか見ず、知らず知らずのうちに考えることを放棄しているのであれば、それは本当に怖いことだ。

しかし、それは裏をかえせば、既成概念をうち破る、新しくて面白いアイデアへの突破口になりうるのかもしれない。

実をいうと、それからというもの、まだ私はコップを買っていない。
最初は半信半疑ではじめたコップを使わずに口をゆすぐという行為だが、口のまわりについた泡もそのまま手で落とせるし、コップを毎回洗う必要もないし、案外、これがいけるのだ。

「歯みがきのあと、コップを使わないなんてありえない」

と思っていた。
しかし、ありえないと思っていた裏側の面を知ってみることで、少なくとも「コップを使わなければいけない」という枷が外れた。思考が自由になった。

おもえば、天狼院だって「ありえない」のだ。
本屋「なのに」コタツがあり、本屋「なのに」ゼミが大人気である。
さらに今度は、本屋「なのに」劇団までおこなう。

普通の書店なら、ありえない。あるわけがない。
しかし、その「ありえない」は、誰が決めつけたのだろう?
これまでの情報からしかものごとを判断してこなかった自分ではないか。

「ありえない」にこそ、人を惹きつける新しいアイデアの発想があるに違いない。

「ありえない」を、「ありえる」に。

あえて、正反対を、想像してみる。

それは、既成概念を超えた先にある、新しい発想を生み出すためのコツなのかもしれない。

もっともっと発想を広げたいし、おもしろいアイデアが沸き続ける源泉が欲しい。
コップ事件があってからというもの、そんなことを大事にしてみよう、と思っている次第なのである。

 

***

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